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カラス対策 X支柱1
カァー・ラスネット 蚊帳状立体型 普 及 版


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もっと早く 知りたかった。本当に立派な ネットです。 感動ものだよ!。
「ほこ×たて」に 出したい。 こんなネットが 欲しかった。

全部お客さまから 頂いた言葉です。
5 発明・創造は組み合わせ
創造は極めて簡単、普通に物を考えること。
 だから当たり前の物ができます。
 しかし、その当たり前のことが、なかなか出てこないのです。
 その当たり前の、カァーラスネットを見て、眼から鱗と誉め称えてくれた方がいらっしゃいました。
 カァーラスネットを一度ご覧下さい。


創造

 今までに無かったモノを創り出すことを創造と呼ぶ。

 創造教育などといって、子ども達の創造力をいかに育成するかが問題になり、ブームのような時期があった。

 もう30年近くも昔のことになってしまったが、教育工学学会という学会に出席したことがあった。

 そこでも「創造力」がテーマになっていた。教育工学などと言う言葉自体がまだ新しい時代でもあり、当時はまだ教育機器なども十分には普及していない時代であった。

 OHP(オーバー.ヘッド.プロジェクター)などという透明なシートに、サインペンで原稿を書いてそれを次々取り替えたり、重ね合わせて映像を作ったりするような手法をある教授が実演して見せたが、それが新鮮に見えるような時代であった。

 教育の実践例の極めて部分的な範囲について、その結果を統計的に分析したような、発表があったり、教育機器の合理的な活用が話題になったと記憶している。

 創造力がテーマと言いつつ、創造力とは何か、どうすれば創造力は伸ばすことができるのかといったこの問題に正面から応える発表も発言もなかった。


創造力は伸ばせる。

 会も終盤に至り司会の教授が、創造力とはいったいなんでしょうか、○○先生一つまとめのご発言をと言うことであった。

 この○○先生、「まとめということにはなりませんが、・・・・考えて考えてハッと閃く、これが創造力でしょう。」と言うことで終わってしまった。

 今なら茂木健一郎氏のアハ体験と言うことになるのであろうが、そのように体系立ったモノではなく、一般に言うヒラメキやご自身の実感からそのように答えられたものと思う。

 これを聞いて、私は非常にがっかりしたものである。

 教育工学と言いながら、創造とは何かを分析的にとらえられていない、どう教えれば創造力が育つのか方法論がない。

 創造力を育成するのは簡単なことなのだ。

 教師自身に創造力があれば一番良いのだが、教師には創造力が無くても子どもの創造力を伸ばす方法を採用すれば、子どもの創造力は伸ばすことができるのだ。


発明・創造は組み合わせ

 平成20年2月11日テレビ東京カンブリア宮殿は、ホームレスから年商120億円の社長になった男、株式会社生活創庫社長堀之内九一郎氏を取り上げていた。

 堀之内はアシスタント小池栄子に完全に割れた茶碗を見せ、買いませんかという。小池が「割れてしまっていては・・・」と応ずる。

 堀之内はそれではこれならどうかと見せた椅子には、座面に割れた陶器・磁器の破片が美しく埋め込まれていた。

 司会の作家、村上龍は堀之内九一郎氏の仕事ぶりを見て、その創造性に感動したと言っていた。

 村上龍曰く、創造は組み合わせである。作家は言葉を組み合わせて創造的な世界を構築する。堀之内九一郎氏はゴミを組み合わせることで新しいものを生み出している。

 かねてより、創造性とは組み合わせのことであるとの持論を持っていた私は、我が意を得たりとうなずいたものである。

発明の始まり

 
創造は人間を人間たらしめる、高度な能力である。

 人間と他の動物との境界を示すものとして、道具を使うことや火を使うことなどが挙げられるが、木の枝を使って穴の虫を追い出す小鳥がいるし、猿は木の枝を使ってものをたたき落とすし、大きな石を落として木の実を割る。

 小鳥は木の枝を切り取って、虫を追い出すのにちょうど良い長さにしたりするが、枝は枝の範囲を出ない。

 その昔、人間も同じように、木の枝を拾っては混紡にしたりしたに違いない。しかし、人間は最初、それぞれのものを別々に使っていたところの石と棒きれを結びつけることで斧を発明した。

 工夫は工夫でも、モノとモノとを結びつける事で、新しいモノを創造し、発明したのである。

 今までにない違った組み合わせでモノとモノを結合させることを学んだ人間は、棒の先端に尖った石を付けることで槍を発明し、たわんだ枝がはじけるのを見て弓を発明したであろう。

 かくして人間は創造の方法を学び人間としての進化の道を歩み始めたのである。


創造力は育成出来る

 一般に学校で行われている創造力教育は、工夫させるということが中心である。算数ではどうすれば解けるかを考えさせ、どう考えたか、考えた過程を大切にし、認め合う、理科では観察を大切にし、観察して分かったことを発表させるいったところであろう。

 このように工夫させ、それぞれその工夫の過程を大切にすることは大切である。

 しかしである、この工夫するということはどのようなことなのか、分からせるあるいは体感させるにはどうしたらいいのか。

 この辺まで来ると気の短い人は怒り出す。

 「工夫は工夫だ。工夫させればそれで良いだろう。」

 お待ち下さい。工夫とはどのようなことかを解明し、それを身につけさせる具体的な方法論について述べているのです。

 簡潔に言いましょう。

 創造の疑似体験をさせるのです。


創造の疑似体験

 図工の時間

 「どんな遊園地があったら楽しいかな?。」「雲にはしごをかけてみようか。雲にはしごをかけたらどんな風になるか描いてみよう。」

「本当は無理かも知れないけど、結びつけたら楽しい組み合わせは他にないかな?。」「いろんな結びつきを描いてみようね。」

 児童は今までに組み合わせることのできなかった組み合わせを体験することで、創造の疑似体験をすることができたのである。

 学(まなぶ)は真似ぶ(まねぶ)から来ているのだという。
 真似をすることは創造性から大きく離れ、、正反対のようにも感じられる。しかし、今までにない組み合わせの作業を半強制的に体験することで創造の能力は飛躍的に高まるのである。

最後に

 組み合わせを半ば強制的に疑似体験させることで創造力は高めることができる。

 これが私の結論である。

 この文は私の主観・直感によって書かれたものであって、学術的な論拠を持つものではありません。(一部は実験で実証済み)

 とりわけ、アハ体験については全く理解しておりません。
 軽々発言して良いか迷いますが、私が長年悩み追求してきたことですのでお許し頂きたいと思います。

 後日、創造的に自己を変身させる方法論について述べてみたいと考えます。

 ここまでおつきあい下さり、ありがとうございました。